「秋の夕暮」という美しい表現について思うこと
短歌(和歌)では季語を求められませんが
もとより、短歌を作る場合、「季語を入れる」という概念はないと思います。
他方、俳句は有季俳句であれば、「季語を入れましょう」となります。
有季俳句に対して、無季俳句もありますが、
いずれの場合も、「季語」の存在を前提に有か無かという話になります。
私は連句も好きでときどき座に加えてもらいますが、
連句の場合は、雑(ぞう)と言って無季の句も組み込みます。
さて、「秋の夕暮」ですが
この言葉は、たいへん美しく、多くの人が「秋の夕暮」の歌を詠んでいます。
私も好きです。
一説によれば、この秋の夕暮は、
新古今和歌集の時代の前後に、相当流行したとのことです。
上記二首、百人一首から抜いてみましたが、
いずれの歌も秋の夕暮で結んでいます。
歌ですので、季語という概念ではないでしょう。
私の勝手を言わせていただければ、
村雨の露も未だ干ぬ槇の葉に霧立ち昇る秋の夕暮 寂蓮法師
が百人一首中好きな歌五首に入ります。
我が家の伊豆の古家の前に広がる湾と里山がまさにこういう感じになります。
その情景を眼前にしますと、思わず
「むらさめのつゆもまだひぬまきのはに きりたちのぼるあきのゆうぐれ~」
とつぶやいて、
周りから
「言うと思った!」
などといわれています。
字余りなのか、ちがうのか
寂しさに宿を立ち出でてながむればいずこも同じ秋の夕暮 良暹法師
この歌の宿とは、旅館ではなくご自分のお住まいのことです。
「いずこも同じ秋の夕暮」が、すばらしいですよね。
寂寞としたたたずまいが目に浮かびます。
ここで、浅学ものの浅学な質問ですが、
二句の「宿を立ち出でて」は字余りなのでしょうか。
私の持っている札のふりがな(上記画像)だと、8文字になりますが・・。
ものによっては「宿を立ち出て」としているケースもみられます。
「いでて」なのか「でて」なのか「いで」なのか?
できれば、二句(上句の真ん中)を7文字で収めたいような気がします。
秋の夕暮の句
さて、俳句の場合、5-7-5ですから
秋の夕暮れを詠むとすれば、中七に入れるか、句またがりにするほかは
なさそうです。
というわけで、「秋の暮」で。
山彦としばらく歩く秋の暮 かわる
今日の英単語:at the helm (指揮を執る、実権を握る)
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。